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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)1704号 判決

主文

なし

理由

五(ママ)放射線照射線量の適否についての判断

1  放射線照射による治療は、患者の健常組織に対しても影響し、場合によつては重大な障害を生ずることもあるのであるから、その治療をする医師は、放射線照射による治療の効果と危険性とに照らし、照射の時期、回数、線量などについて細心の注意を払うべきであり、右注意義務の基準となるべきものは、前示の診断におけると同様に、照射当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和四四年二月六日第二小法廷判決・民集二三巻二号一九五頁、同昭和六一年五月三〇日第二小法廷判決・裁判集民事一四八号一三九頁参照)。そして、その治療の対象となる疾病が生命の危険にかかわる場合には、生命の維持はなにものにも代え難いものであるから、治療に伴い不可逆的な障害が生じることがあつても、右の水準による限り、違法な治療とはいえないものと解すべきである。

2  卵巣未分化胚細胞腫に対する放射線治療についての医学上の知見については、成立に争いがない甲第五、第六号証、第三二号証、同乙第八ないし第一〇号証、第一七号証、第二〇号証、第二八号証、第三一ないし第三五号証、第三七号証、第三九号証、第四一号証及び証人大町正道、同長谷川博、鑑定証人山下久雄(一部)、同寺島芳輝(一部)、同望月幸夫の各証言並びに鑑定の結果(鑑定人角田昭夫、同岡野滋樹の口頭意見及び鑑定書二一頁)によれば、次の事実が認められ、鑑定証人寺島芳輝の証言中右認定に反する部分は採用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

(一)  卵巣未分化胚細胞腫は、卵巣に発生する腫瘍の一つであり、性的分化以前の胚上皮から発生すると考えられており、多くは二〇歳代に発症するところ、本件当時において症例が少なく、その治療法は確立していなかつたが、一般的には、〈1〉手術による腫瘍の除去(摘出手術)、〈2〉放射線照射、〈3〉化学療法及びこれらの併用が治療方法と考えられており、周辺部位への浸潤が存し、摘出手術によつて腫瘍が完全に摘出できない場合には、救命のために放射線照射を施行すべきであるとされていた。また右腫瘍は、悪性腫瘍としては予後が比較的良好な方であるが、それでも再発死亡例も多く、一般に放射線感受性に富み、放射線照射をしたのにかかわらず再発した場合には、その治療効果が減少するものの、なお放射線治療による治癒が可能であると考えられている。例えば、山本真巳(乙第三五号証)(発刊年(以下同じ。)は昭和四三年)は、一四九例中九歳以下は二例(一・五パーセント)に過ぎず、二〇歳代が七二例(四八・三パーセント)であり、予後を追及できた一三五例中五年生存例は七〇例であり、生存率は、卵巣内限局例では八二・八パーセントであるが、骨盤内波及の場合は五八・八パーセント、腹腔内波及の場合には四六・七パーセントであつて、若年者ほど再発の機会が多くかつ予後が悪いと報告し(林基之(乙第八号証)(昭和四六年)も、転移、再発例の予後は不良であると報告している。)、亘理勉(乙第三七号証)(昭和四七年)は、一七歳の手術例として、右卵巣腫瘍を手術後再発したが、放射線治療により消失し、更に転移し、放射線治療を繰り返し、当初の術後一二年間生存した例を紹介し、森本紀(乙第四一号証)(昭和五四年)は、昭和二〇年から同五二年の三二年間に収集した一八七例を予後調査したものであるが、卵巣未分化胚細胞腫のステージ1で一〇〇例中三五例が再発し、内九例が生存し(死亡率約七四パーセント)ステージ2、3では二九例中二〇例が再発、内七例が生存している(死亡率約七〇パーセント)こと、ステージ2、3の五年生存率は六四・三パーセント、一〇年生存率は、ステージ2では六〇・九パーセント、ステージ3では五〇・〇パーセントと報告している(ステージの基準は病期分類とほぼ同じ。)。

(二)  卵巣未分化胚細胞腫に対して放射線治療をする場合の線量は、治療効果と健常組織への影響との兼合いが考慮されるが、腫瘍が完全に摘出された場合には、病巣吸収線量で三〇〇〇ないし四〇〇〇ラド程度、完全に摘出できない場合には、四〇〇〇ラドないし五〇〇〇ラドが目安とされているが、その程度は、腫瘍の性質・程度、病期(病状の程度)、照射野(照野容量が大きくなるほど影響も大きい。)、患者の局所及び全身の状態、併用療法の有無等によつて異なり、一律な許容限度ないし治療線量を定めることは困難であり、再発の場合について、小林輝夫(乙第三二号証)(昭和三四年)は、転移再発例の予後は不良(予後追及後五年以上で三五・三パーセントが生存)であるとした上、生存例六例中五例に放射線治療がされていたとし、その線量は最低四〇〇〇レントゲン、最高一四〇〇〇レントゲンであると報告し、御手洗俊三(乙第三一号証)(昭和三三年)は、〈1〉術後六四〇四レントゲン、五八〇〇レントゲンを照射した例、〈2〉転移後九四〇〇レントゲンを照射した例、〈3〉再発後、下腹部に一万二〇〇〇レントゲン、臍上部に五〇〇〇レントゲンを照射した例(いずれも生存)を報告している。

(三)  放射線照射の影響については、前回の照射終了後の期間にかかわらず総線量の限度があるとする見解もある(寺島証言)。しかし、一般的には、照射後三か月を経過すると、急性障害のほとんどは回復する、晩期障害については、期間を置けば前の照射の影響は減少するものの、影響が皆無となることはない、その影響の程度については、照射線量が多くなるほど障害発生の危険度が高くなると考えられているが、本件当時はもちろん現在においても、晩期障害を生ぜしめないでしかも悪性腫瘍の根治を図りうる照射についての確立した知見は存しない。

(四)  年齢と照射線量との関係は、本件当時はもちろん現在においても充分に解明されておらず、薬剤の投与量程度の差異(山下久雄ら(甲第三四号証))とか成人の二分の一から三分の一(寺島証言)とかの見解も存するが、一般的には治療に必要な線量は変わらないものの、小児は成長過程にあるから、骨に対する影響について配慮すべきであるが、六歳以上に達している場合には、原則的には減量せず、減量するとしても若干の減量で足りると考えられている(鑑定書三三頁、望月証言)。

3  次に、1、2を基に本件の照射について判断する。

美奈子の病状の程度が、病期分類2ないし3期に属し、手術によつても腫瘍を完全に除去できない状態であつたことは、前示三1のとおりであり、第一回ないし第四回の各照射の病巣吸収線量が原判決別表4L欄記載のとおりであること、第一回の照射が、手術後の再発防止のため、第二回から第四回までの照射が、再発の兆候に応じ、治療のためになされたことは、前示二及び四のとおりである。

右認定の事実並びに前掲仲原、岡野各証言及び鑑定の結果によれば、各照射とも、美奈子が小児で長時間、腹臥位をとることが困難であつたため、仰臥位、一門照射で行わざるを得なかつたが、その方法については、腫瘍の位置、大きさに応じ、照射の方法、照射野を変え、各回ごとの照射回数、照射時間、照射線量等を調節し、患部以外の臓器への影響を最小限にとどめるべく配慮したこと、各照射の間隔については、第一回と第二回との間には約七か月、第二回と第三回との間には約三か月、第三回と第四回との間には二か月余の間隔があつたこと、第四回目の照射については、仲原医師は放射線治療をしても再発を繰り返すので開腹手術をしようとしたが、控訴人らが転院を希望したため、やむなくそれまでの間の治療として、腫瘍の消失に効果があつた放射線を美奈子の体調、前回照射時からの経過日数(二か月余)等を考慮し、量を少なくして照射したこと、美奈子の腫瘍は国立がんセンターでの検査結果で治癒していることが確認されたことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。そして、以上認定の事実に基づき右の照射を前示1、2の当時の放射線治療における一般的な医療水準に照らしてみると、第二ないし第四回の照射は手術後の再発の兆候に応じてなされたものであるが、放射線による治療は、既に放射線治療を受けた場合であつても、卵巣未分化胚細胞腫に対する有効な治療方法と見られていたのであり、その治療線量は、腫瘍が完全に摘出できない場合には、四〇〇〇ないし五〇〇〇ラド(吸収線量)とされている上、本件では第一回目に三〇六六ラドの照射がされたにかかわらず更に再発したとみられる場合であるから、第二ないし第四回の各回ごとの照射線量は、美奈子の生命の危険を救い、治療の効果を図るため必要やむを得ないものとみられるのであり、そして、右各照射に当たつては、患部以外の臓器に対する影響を最小限にとどめるための配慮がされているのであつて、これらを不相当のものということはできず、美奈子の生命の危険に対し、右各照射の時期、回数、線量等各照射に当たつてとられた措置は、いずれも当時の臨床医学の実践における医療水準に反するものではなく、そのために、晩期障害が発生しても(前記のとおり晩期障害を完全に防止しつつ、右疾病を治癒しうる照射についての確立した知見は存しない。)、患者の生命維持のために伴うやむを得ないものというべく、美奈子のその後の障害が右放射線の晩期障害であるとしても、これをもつて、仲原医師らの治療が医師としての注意義務に違反したものとはいい難い。

控訴人は、第四回の照射は美奈子が激しい腹部症状を呈している中にされ、これが不可逆的な障害を発生させたもので違法であると主張し、右照射前に美奈子に腹痛、下痢症状があつたことは前示四のとおりであり、前掲長谷川証言、望月証言によれば、右は放射線による急性障害(腸炎)である可能性が強いが、それが不可逆的な晩期障害に結びつくとする医学上の知見はなく、むしろ放射線治療が必要とされる場合においては、急性障害が生じていても、照射をすることができるとするのが一般的な医学上の知見であると認められ、また、第四回は、国立がんセンターへの転院までの間の治療として、既にその効果が確認された放射線照射を、美奈子の体調、前回照射時からの経過日数(二か月余)等を考慮し、量を減少してしたものであつて、是認できないものではなく、仲田医師らが前示の症状にかかわらず第四回の照射をしたことが、当時の臨床医学の実践における医療水準に反するとはいい難い。控訴人は、第一回から第四回までの照射量の総量を基準に照射量の過剰の主張をし、前掲寺島証言はこれに沿うものであるが、前示のとおり、当時(現在も同様である。)の一般的な医学上の知見とは認め難く、前示のとおり、各回ごとの照射量は不相当とはいえず、ある程度の期間を置けば、前の放射の影響は全くないとはいいきれないものの、減少するものと考えられており、過去の報告中にも、再発後に総量で二万レントゲンに近い程度の照射がされ、生存が図られた例も報告されているのであるから、前示の経緯の下に、総量で前示のごとき量の照射をしたことをもつて、仲田医師らの照射が、当時の臨床医学の実践における医療水準に反し、医師としての注意義務に反するとはいえない。

その他、仲田医師らのした放射線照射が、当時の臨床医学の水準における医療水準に反すると認めるに足りる証拠はない。

したがつて、控訴人の主張は失当である。

(裁判官 鈴木 裁判官 伊東 裁判官 筧)

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